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2006年12月

2006年12月31日 (日)

天野山金剛寺(鐘楼)

Wcavdyja 大阪府河内長野市の「天野山金剛寺」の「鐘楼」です。
今日大晦日夜半前から元旦にかけてこの鐘楼の釣鐘は一般参拝者も撞くことができます。長い順番待ちの列が続きます。

その鐘楼をボールペン(1.4�)でラフスケッチしました。

さて、「菜根譚(さいこんたん)」では、「無心の境地は自然に得よ」という表題で次のように説いています。後集の第81項です。

近ごろの人々は、むりに無心の境地に入ろうとして、かえって雑念をなくすことができないでいる。
過去のことを気にとめず、将来のことにも心を悩まさず、ただ、その日その日を平穏に過ごしていく心境に到達できたならば、あとはしだいに無心の境地に入っていくことができるだろう。

2006年12月30日 (土)

天野山金剛寺(本殿)

Ecz1yxk8 大阪府河内長野市の「天野山金剛寺」本殿です。今日は晦日、大晦日から新年に向けての飾り幕が下げられていました。

その本殿をボールペン(1.4�)でラフスケッチしました。飾り幕を強調するために建物は「グリザイユ画法」によるウルトラマリーンとバーントアンバーの混色による灰色で影の部分を塗るに止めました。

さて、今日、戦時から敗戦を舞台のTV映画「火垂(ほた)るの墓」を観ました。あの頃は飢餓にさいなまれ、全ての国民が忍耐の極限におかれていたのですね。今年も敗戦から61年の年月が過ぎ去ろうとしています。当時、今日の飽食による内蔵脂肪症候群などの病気が社会問題になるなんて想像もつかなかったことでしょう。そして、薄れ行く武士道精神(特に『側隠(そくいん)の情』)の欠如によるいじめ問題等々。
山積している諸問題に国民はそれぞれの立場で真剣に考え直す必要がありそうですね。
ところで、「身を治め、家を治め、国を治める。」という教えがあります。私は今年2月末からのblogの日々更新に追われて、何もできていないことを反省せねばなりません。


2006年12月29日 (金)

手のスケッチ

5l1tl45i 私の左手のスケッチです。ボールペン(1.4�)で描きました。実は、今日は一日あわただしく、掲載する作品ができず、急遽自分の手をスケッチして間に合わせました。今年ものこすところ3日、日々更新の記録が途絶えることを避けたいと思ってのことです。平素から予備の作品を蓄えておく必要を痛感している次第です。

さて、「菜根譚(さいこんたん)」では、「天かつわれをいかんせん」という表題で次のように説いています。前集の第90項です。

もし天がわたしを冷遇して幸福を与えようとしないのなら、わたしは自分の人格をみがくことによって幸福をかちとろう。
もし天がわたしの肉体を酷使して苦しめるならば、わたしは心の平安によってその苦痛を免れるだろう。
もし天が障害を設けてわたしを妨げるならば、わたしは真理の力によって、これを通りぬけて見せよう。
天といえども、このわたしをどうすることもできまい。

2006年12月28日 (木)

陶器の犬

Wh9tbgvd これは陶器の犬です。和歌山の親戚宅にありました。
見事に作られています。本物そっくり、以前に野良猫対策に玄関前に置いていたそうですが、陶器で匂いがしないからか見破られて野良猫には無視されたとか。

その陶器の犬をボールペン(1.4�)でスケッチ画にしました。こればかりはつたない絵ではなく写真の方が良かったかも知れません。

さて、「菜根譚(さいこんたん)」では、「祖先の恩、子孫への責任」という表題で次のように説いています。前集の第94項です。

祖先の恩とは何であろうか。現在の自分の幸福、それはすべて祖先が遺してくれたものなのだ。自分の幸福は、祖先の長い年月の苦労によってもたらされたことを思い、深く感謝しよう。
子孫の幸福とは何であろうか。それはわたしたち自身が築きあげて、後世に伝えなければならないものだ。もしわたしたちの努力が不十分であれば、恩恵を後世に伝えることは極めてむずかしい。

2006年12月27日 (水)

天野山金剛寺の櫻の古木

Qckflduk 大阪府河内長野市の「天野山金剛寺」境内にある櫻の古木です。この寺は秋の紅葉、春の櫻で有名ですが、この古木にも見事な櫻が咲き誇ります。

その古木をボールペン(1.4�)でスケッチ画にしました。

さて、「菜根譚(さいこんたん)」では、「耐える」という表題で次のように説いています。前集の第182項です。

「山では坂道に耐えて登り、雪のなかでは危ない橋に耐えて進む」ということわざがある。この「耐える」ということが大切だ。
人の感情は坂道だらけ、世間は至るところ悪路である。「耐える」という言葉を後生大事に守りつつ進んでいかないかぎり、いつイバラの藪(やぶ)やおとし穴にはまってしまうかわからない。


2006年12月26日 (火)

天野山金剛寺境内の土塀

Dzyrt5l7 大阪府河内長野市の「天野山金剛寺」境内の土塀です。
この寺には「国重要文化財」指定建造物が多数存在しています。そのためか、順次国の補助により修復作業が続いています。この時代を感じさせる土塀もやがては修復されてしまうことでしょう。

この修復される前の土塀に興味を覚えて、ボールペン(1.4�)でスケッチ画にしました。

さて、「菜根譚(さいこんたん)」では、「一将功成りて万骨枯る」という表題で次のように説いています。後集の第128項です。

一つの出来事には、必ずその弊害がともなう。この社会では何事もないのが最大の幸福なのだ。昔の人の詩にもあるではないか。「立身出世の話はやめてくれ。たった一人の功名が万人の死骸の上に築かれる」。また、「たとえわが身が名刀でも、天下太平が続くのなら、箱にしまわれて一千年放っておかれても怨まない」。
豪傑たちの功名心も、この詩のことばを聞くときには、すっかりしぼんでしまうだろう。

2006年12月25日 (月)

天野山金剛寺境内(天野川)

1qhnhofm 大阪府河内長野市の「天野山金剛寺」境内です。下を流れているのは「天野川」です。
金剛寺は弘法大師や秀吉に縁のある由緒ある寺ですが、日曜日だというのに静寂な雰囲気に包まれています。
河内長野市は観光都市で、「観心寺」や「延命寺」などの有名なお寺が多数あります。この「金剛寺」もその一つですが、いつ行っても静寂で落ちついた雰囲気、私の気に入っているところです。我が家から車で10分足らずの距離だということを抜きにしてもです。

そんな風景をボールペン(1.0�)でラフスケッチしました。左の茂った樹木は楠木です。

さて、「菜根譚(さいこんたん)」では、「冷静」という表題で次のように説いています。前集の第206項です。

冷静な眼で人を観察し、冷静な耳で人の言葉を判断し、冷静な感覚で物事にふれ、冷静な心で道理を考えよう。

2006年12月24日 (日)

天野山金剛寺「摩尼院書院」(2)

Boih8stl 大阪府河内長野市の「天野山金剛寺」塔頭(たっちゅう)「摩尼院書院」です。「南朝行在所」、国重要文化財です。

ボールペン(1.4�)でスケッチしました。2週間前の今月10日、当blogに同じ場所のスケッチを掲載しましたが、その時には残っていた紅葉はすっかり散ってしまい、寂しい冬枯れの風景になっていました。

さて、「菜根譚(さいこんたん)」では、「わがまま育ちは身をほろぼす」という表題で次のように説いています。前集の第100項です。

富貴の家でわがままに育てば、欲望を追うはげしさは火のようであるし、権力に対する執着は炎のようだ。
少しは頭を冷やして、淡白な気風を身につけておかないと、そのはげしさによって人を傷つけるか、さもなければ自分自身を焼きつくしてしまうだろう。


2006年12月23日 (土)

近江八幡堀

8l0mqxbs 滋賀県近江八幡市大杉町の「八幡堀」です。堀の両側に白壁の土蔵や旧家が並んでいます。江戸情緒が漂う落ちついたたたずまいです。

そんな風景を竹ペンに「ハヤシ」製図用インクを使ってスケッチ画にしました。

さて、「菜根譚(さいこんたん)」では、「悠�(ゆうかん)の趣味あるを要す」という表題で次のように説いています。前集の第8項です。

天地は永遠の静けさを保ち、しかも一瞬も休まず活動を続けている。日月は昼夜を分たず運行していて、しかもその光りは万古にかわらない。
静中動。動中静。
のぞかなときといえども、はげしい変動に備え、目のまわる忙しさのうちにも、悠々たる心境を持ちたいものである。

2006年12月22日 (金)

山茶花

J4xxxrdu 我が家の「山茶花」です。ほとんどの花は開ききっていますが、いくつかの蕾もありました。
ボールペンでスケッチしました。

さて、「菜根譚(さいこんたん)」では、「悪の善、善の悪」という表題で次のように説いています。前集の第67項です。

悪事を働いても、それが露見するのを恐れているようならば、悪人とはいえ、まだ一片の良心を抱いているものだ。
善行を積んでも、それがいち早く評判になればよいと願うようでは、善いことをしたとはいえ、悪の道におちる要素が感じられる。