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2007年12月

2007年12月31日 (月)

石榴(ざくろ)

Gxwzirrl 石榴(ざくろ)です。この石榴は昨日の「紀ノ川」の記事に登場する(和歌山県橋本市の)親戚の柿畑にある石榴の木になっていた実です。旬が過ぎて、本来の鮮やかな色合いは失われているかも知れません。

その石榴をチャコールペンシルで写生、水彩絵の具で彩色しました。用紙はアルシュの荒目です。例によって、影の部分を灰色に塗ってから彩色しました。

さて、今日、本年最後の散髪を済ませました。お店は堺市泉北高速鉄道「栂・三木多駅」の「ヘアーコーディネートクラブBroadway」です。このお店は南海難波駅、高島屋地下の「庄司理髪店」のチェーン店です。庄司理髪店は以前にこのブログで紹介しましたが、経営者は東京の方、私は東京方式のあか抜した接客方針が気に入っています。
ところで、その難波店のベテラン従業員の方が11月中旬の異動で、今日私が行った堺店の店長になられたことを仄聞、訪れてみました。

このお店も難波店同様、技量・接客マナー共抜群、繁盛していました。今後、通勤帰りに訪れる難波店と交互に利用したいと思いました。所詮、客商売の繁盛は、技量は勿論ですが、従業員の接客マナーが肝要だと再認識した次第です。



2007年12月28日 (金)

紀ノ川(和歌山県橋本市)

8cmgoxyt 和歌山県橋本市の「紀ノ川」です。この風景は親戚の柿畑からの眺めです。我が家では毎年干し柿を作っていますが、その渋柿を頂戴しているのはこの柿畑の柿です。

その風景をボールペンでラフなスケッチ画にしました。この絵をいくらラフだと断っても、もう少し丹念に描き込まねばならないものだと反省しております。

さて、「紀ノ川」は和歌山県の北部を流れ、和歌山市の和歌山港に入っています。その「紀ノ川」を世に知らしめたのは、やはり有吉佐和子さんの小説「紀ノ川」でしょうね。

ところで、「紀ノ川」に関する話は他にもあります。日本に金メダリスト多しといえども、同じ町内で2人も輩出しているところは類を見ないでしょう。それはここ橋本市はあの「前畑がんばれ!」で知られる前畑秀子選手の故郷であり、同時に潜水泳法で一世を風靡した古川 勝選手の故郷でもあります。

戦後日本が元気をなくし、疲弊していた頃、日本人に元気と誇りを呼び覚ましてくれたのがこのお二人ではなかったかと思います。そんなことを考えながら描いたのがこの1枚です。

2007年12月26日 (水)

ジャンダルム(穂高連峰)

Gi_pmvea 北アルプス、穂高連峰の「ジャンダルム」の頂上です。穂高連峰を守護する「衛兵」という愛称で、登山家達に親しまれているようです。

私達「高齢者登山隊」が奥穂高岳登頂に成功したのは本年8月2日、当日は台風が列島に接近していたせいか、小雨まじりで、ガスが流れる天候でした。
そんな中下山途中、西穂高岳方向に垣間見えたのがこの風景です。

その風景を0.5�のボールペンでスケッチ画にしました。
背景には本来は西穂高岳が見えるはずですが、ガスで霞んで全く見えません。そんな状況を表現したかったのですが、不十分な作になりました。

さて、私にとっての今年の特筆事項は、やはり職場の仲間、「高齢者登山隊(平均年齢65歳)」で、「奥穂高岳(3,192m)」に登山したことでしょうね。
3,000m級の登山は、20歳の時に登った「富士山(3,776m)」以来47年振りでした。富士登山の時はその後に控えた東京見物に合わせた服装、短靴に背広姿でリュックを背負った格好で十分でしたが、今回の登山の困難度は段違い、慎重を期した装備と日程になりました。
元来私にとって、登山は門外漢、(夏山とはいえ)本格登山をこの歳になって体験できるとは夢にも思っていませんでした。それだけに有り難いことであったと感謝している次第です。

ところで、時たま高齢者登山の遭難記事を目にします。滑落してヘリコプターを要請すれば500万円、救助隊の出動は数百万円の経費が掛かるとか。慎重には慎重を期さねばなりませんね。

そのことを考えれば、今回の登山は困難度第1級。これからの登山は温泉でゆっくりくつろげる日程も含む、安全で緩やかな行程が良いのかも知れません。


2007年12月24日 (月)

日本銀行大阪支店(大阪市北区)

Sz60ceed 大阪市北区淀屋橋の「日本銀行大阪支店」です。

これは堂島川に架かる大江橋南詰めからの眺めです。
その風景を耐水性の水性ボールペンでラフスケッチしました。御堂筋の名物、銀杏並木の紅葉がかろうじて残っておりました。

この建物は、大阪市役所の西向かい側になります。緑青銅の円屋根が際立っています。明治36年、ベルギーの国立銀行をモデルに、辰野金吾氏が設計。外壁は花崗岩が用いられ、日本銀行の重厚な雰囲気を醸し出しています。

さて、昨日は終日小雨振りしきる寒い京都へ行って来ました。平安神宮の近く、岡崎の京都観世会館での「片山定期能12月公演」観劇です。
私は能については全くの門外漢ですが、あらかじめ筋書きを読んでいましたので集中して堪能できたように思います。それは時代は違っても日本語だからかも知れません。ところで、会場には欧米人とおぼしき人も見かけました。能を楽しむ欧米人は私共よりも日本文化を収得、理解しているのかも知れません。恥じ入るばかりです。




2007年12月22日 (土)

大阪市中央公会堂(大阪市北区)

S7fotvsy 大阪市北区淀屋橋の「大阪市中央公会堂」です。堂島川沿いの中之島に建っています。

その風景を堂島川に架かる「水晶橋」から、0.5�のボールペンでラフスケッチしました。建物正面は東向きですが、この面は北側になります。

さて、この公会堂は、大阪裁判所のすぐ前になりますが、大正7年建築のバロック調、レトロな雰囲気を遺憾なく発揮しています。当時株取引で財をなした岩本栄之助氏が寄贈したものであることは以前に書きましたが、設計は辰野金吾、片岡安氏です。なお、特別室には松岡壽画伯がアーチ状の屋根を利用して描いた天井画や壁画が見ものです。

2007年12月18日 (火)

中之島界隈(着彩)

P4dhgwki これは、昨日の「グリザイユ画法」により影の部分に着色した「中之島界隈」に着彩した絵です。やはり着彩した方が鮮明になったでしょうか。これも年賀状用の候補作にしたいと思います。

さて、少しよしなしごとを書きます。
私はいつも、来客があってつましい食事を共にするとき、お客さんが「頂きます!」といったときにどのように対応したらよいのか戸惑います。「いいえ、お粗末です!」と返せば良いのでしょうか。
本来は、お客さんと一緒に「頂きます!」と唱和すれば良いのかも知れません。それは単に主と客の関係を超越した次元、すなわちお互いの命を長らえるための食事を(天の恵みとして)頂戴できることに共に感謝して、「頂きます!」と唱える、ということに意味があるのでしょうから。

ところで、よしなしごとがもう一つあります。
それは、食堂や居酒屋で客が支払を済ませて、店を辞するときに「ごちそうさまでした!」ということです。ただで、ごちそうになったのならともかく、ちゃんと代金を支払いながら、「ごちそうさまでした!」というのにはいつも違和感を覚えます。これはきっと考え過ぎだといわれそうですね。



2007年12月16日 (日)

中之島界隈(グリザイユ画法で着色)

Zje1t6pk この絵は、昨日の「中之島界隈(線描)」にグリザイユ画法により、影の部分を(ウルトラマリーンブルーとバーントアンバーの混色の)灰色で着色したものです。これだけでも絵に立体感が表れてきたように思います。このことからも、絵画は所詮光と影の表現が重要な要素であることが分かるようですね。

さて、スケッチ行した当日、昼食は中央公会堂地下のレストラン「中之島倶楽部」へ行きました。お目当てはここの名物、オムライスです。私の注文はオムライス大盛り(780円)、日本酒熱燗(400円)そしてブレンドコーヒー(360円)の合計1,540円でした。大正ロマンティシズムが漂う優雅な雰囲気も味わえて、この料金は決して高くないと思いました。

明日は、この絵に彩色します。グリザイユ画法の効果が発揮されることを期待しながらです。

2007年12月15日 (土)

中之島界隈(線描)

Fy9cvotz 大阪市北区、大江橋からの中之島界隈です。正面左は「水晶橋」、中央奥は「中央公会堂」そしてその右は「中之島図書館」です。このお気に入りの構図は10枚を超えます。

中央公会堂は、大正7年、当時株で財をなした岩崎栄之助氏が寄贈されたもので、重要文化財になっています。私はこのバロック調の壮大な建物に魅せられております。

中之島図書館は、明治37年住友家の寄贈により建てられたネオバロック様式の建物で、これも重要文化財になっています。私は高校時代以来、良く通ったもので、試験の時期には特に利用しました。地下食堂のカレーうどんは懐かしい味ですが、現在は食堂は廃止、自動販売機を設置、インスタントものがありました。当時は府立の中央図書館でしたが、現在は東大阪市荒本に中央図書館が新設されてからは、この図書館は主に郷土資料の専門館になっております。

さて、この中之島界隈の風景を件の耐水性の水性ボールペンでスケッチしました。

実は、先日そよ風さんの年賀状、水彩画「多田神社」を拝見して、やはり新作も用意すべきだと触発されました。そして急遽スケッチ行した次第です。この絵はボールペンでの線描ですが、順次グリザイユ画法による影の着色そして彩色に至る過程をお示ししたいと思ったりしております。年賀状は今日から受けつけ開始、急がねばなりません。


2007年12月14日 (金)

泉涌寺境内(京都市東山区)

Jcq97s8b 京都市東山区「泉涌寺(せんにゅうじ)」の境内です。
黄色の紅葉をバックに赤色の紅葉が映える様が見事でした。

その風景を、耐水性の水性ボールペンでスケッチ画にしました。黄色はともかく、赤色の透き通った鮮やかな色合いは十分に表現できていないように思います。

さて、時は元禄15年(1702)。(305年前の今日)12月14日深夜、江戸の本所(ほんじょ)で赤穂浪士47名による吉良邸への討ち入りが行われました。「忠臣蔵」で知られている事件です。300余年を経た現在でも決して魅力を失っていない、といえそうですね。

討ち入りに成功した赤穂浪士は47人でしたが、元来赤穂藩には浅野家家臣120人、それが大石内蔵助が討ち入りを決意した段階では50人に減り、最終の討ち入りに参加したのは47人になったとのこと。

この47人は、武士道を貫いた義士としてこれからも永遠に語り継がれていくことでしょう。

一方、私が興味を覚えるのはその討ち入りに参加しなかった残り73人の人生についてです。きっと、日陰者の生き方を強いられたことでしょう。

或いは赤穂の地を離れ、百姓などになって、出自を秘めて、密やかに暮らしていたのではないでしょうか。

討ち入りに参加しなかった、参加できなかった73人のその後の人生について、おそらく資料は皆無だと思いますが、調べてみたい気もします。





2007年12月10日 (月)

東福寺(通天橋)

2otszjvm 京都市東山区「東福寺」の紅葉です。これは「偃月橋(えんげつきょう)」から「通天橋」を臨んだ風景です。

その紅葉の風景を6Bの鉛筆でスケッチ画にしました。紅葉の葉っぱは細かく描かず、かたまりとしてその輪郭だけを描きました。そしてまず「グリザイユ画法」で影の部分を(ウルトラマリーンとバーントアンバーの混色による)灰色で着色した後、彩色しました。ところで、この絵は近景と遠景の差があまり表現できていないように思います。

さて、私の愛車はマーク�、まもなく走行距離は20万キロメートルになります。平成6年製、13年が経過しております。この間タイヤ、バッテリーなどの消耗品以外では、ディストリーヒューターとラジエーターを交換しましたが、総じて耐久性に優れた車種だと思います。エンジン音はV6のせいか、走行距離20万キロメートルの割には静かだと思っております。この調子なら、30万キロまでは使えそうです。

自動車会社には申し訳ないです。新車販売促進に当分は貢献できそうにありません。