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2008年4月

2008年4月29日 (火)

興福寺・八重桜(奈良市登美大路)

Butkbucp 奈良市登美大路の「興福寺」境内に咲く八重桜。奥の塔は昨日掲載した国宝「五重塔」です。

昨日の「五重塔」は、墨汁と筆で半紙に描きましたが、このスケッチ画は水性サインペンで半紙に描いてみました。
ところで、以前、水性サインペンで薄くドーサ液を塗布した和紙に描いたりしておりましたが、今回の書道用半紙は思ったよりも滲みが少なく期待はずれ、残念な結果となりました。やはり、手間ですが、薄くドーサをした和紙に描く方が良いようです。

さて、明日は滋賀県の「比良山」に、職場の(昨年「奥穂高登山」参加の)「高齢者登山隊」の仲間と出掛けます。
高山植物のカタクリなどが観られるかも知れません。そんなことを考えながら就寝すると、又しても睡眠不足になってしまうかも・・・、心配なことです。


2008年4月28日 (月)

興福寺・五重塔(奈良市登美大路町)

0ewh6mai 奈良市登美大路町の「興福寺」の「五重塔」です。
この五重塔は、国宝です。形が美しいことで広く知られていますが、いつまでも眺めていたい気持にさせる素晴らしい風情です。

この塔を眺めている中に、日本古来の筆と墨で半紙にスケッチしてみたくなりました。
筆と紙は書道用を用意しましたが、肝心の墨が手元に見当たらず、以前に買っていた墨汁を使って描いてみました。

案の定、墨汁は硯で擦った墨と違って、水で薄めても薄墨にはならず、まるで切り絵のような真っ黒な出来上がりになってしまいました。
これも試行錯誤の失敗作。明日にでも硯用の墨を求めて、再チャレンジしたいと思っております。

ところで、墨で和紙(画仙紙)に描くのは、一般的には「水墨画」といわれていますが、私が目指すのは、あくまでも洋画の範疇にあります。従って、洋画(スケッチ)を描くための材料として、墨と半紙を使用してみる、ということになりましょうか。

実は、この手法はいつも何かとご教示頂いている方から教わりました。今後、この手法も私の絵画学習の一端に加えていきたいと思っております。

2008年4月26日 (土)

柿の接ぎ木(大阪府河内長野市)

H_z3o03i これは、昨年5月、甘柿に渋柿を「接ぎ木」、その1年後の写真です。どうやら接ぎ木は成功のようです。
渋柿の接ぎ穂は和歌山県橋本市の親戚から頂戴しました。接ぎ木した柿の木は、大阪府河内長野市緑ヶ丘南町に隣接する畑にあります。来年には渋柿の実がなるかも知れません。

さて、昨日の記事に登場する「随筆集『獅子身中の虫』」の著者、(故)竹中允先生の筆名は「竹中不拙(ふせつ)」です。
この筆名は、「拙(つたなく)ない」という意味になって、誇り高い、むしろ不遜な感じに取られ兼ねないようにも思われます。そのことについて、生前、先生は「そうではなく、むしろ反対の謙遜した命名だ」と言ってられました。

ところで、作家司馬遼太郎さんの名前は、「司馬遷には遠く及ばない男」という意味合いの命名であると、司馬さんご本人が何かの書物に書いていたようですが、これは「司馬遷を遙かに超える男」と解釈した方が正しいのではないか、と思ったりしております。

それは、謙遜した命名であると言っている、ご両人に共通していえることですが、命名は本来誇り高く、希望を込めた意味合いで付けるのが自然ではないかと思うからです。

従って、「不拙」は、「つたなくない、優れた者」という命名であり、「司馬遼太郎」は、「司馬遷を遙かに超える男」だという命名であると、公言されても良かったのではないか。と、思いますが如何でしょうか。





2008年4月24日 (木)

天野亭(大阪府河内長野市)

_7qhda4h 大阪府河内長野市天野町の「天野山ゴルフ倶楽部」敷地内にある飲食店「天野亭」です。
この建物は、里山の残る河内長野市でも、ほとんど見かけなくなった、貴重な茅葺き屋根の建物です。健在なうちにと思い、6Bの鉛筆でスケッチしました。

さて、一昨日(4月22日)は私の誕生日、何とか68歳を無事に迎えることができました。そのことを殊更に感慨に耽るのには理由があります。
それは、私が当時(中学時代)お世話になり、お慕いしていた中学校の恩師竹中允先生が69歳で亡くなられたことに関係しております。
先生は9年前(平成11年2月25日)、肝臓癌で逝去されました。その際に受けた感動、それはご自身で生前に書かれた次の「死亡の知らせ」に始まります。

「死亡のしらせ」
拝啓
昨年来、いろいろとご心配をおかけしています。皆様にはお変わり無くお過ごしのことと存じます。
さて、私その後癌との闘いに専念して参りましたが、昨年来、リンパ節に転移し、一月三十日夜、リンパ節が気管支や食道を圧迫し、左横隔膜を押し上げ、声が出にくくなるとの医師の判断もあり、兄弟一同に集まってもらいました。
「いいか、葬式はしてはいけない。身近な者だけの密葬を頼む。戒名はつけてはならない。従って、津山の墓に埋葬してはいけない」
私は長男であり、未だ家が岡山県の津山に残っていますから、兄弟たちは顔を引きつらせましたが、納得してもらうことが出来ました。
「友引、仏滅にこだわるな、密葬が済んだらすぐ火葬場で骨にして、床の間に置いてくれ」
妻とは死んだら、二人の骨を海に流してもらおうと約束しているのです。
「二人が死んだら骨を混ぜて太平洋に流してくれ。淡路の鳴門の渦がいいかなあ。二人の骨は轉びながら東インド会社のあったバタビアの海に流れて行くよ。俺が若い頃興味を持った海なのだ」
生体が圧迫されてほとんど声にならないから、沈黙の時間が流れ、しゃくり上げる声も聞こえた。
「一部の骨は東インド海流に乗って、長崎に流れて来る。今、俺が一番関心を持っている西洋医学伝来の海だ。日本海に流れ込んだ二人の骨は俺の誕生の地、博多の海や、お姉ちゃんの故郷、能登半島辺りで道草を喰いながら北へ北へ流れて行く。樺太の海は冷たい。俺たちの骨は薄くすりへって桜貝になって韃靼(だったん)海峡を渡るのさ。そこには俺とお姉ちゃんの故郷がある」
遺言を残し、明日にでも死ぬような話を済ませたら、翌日から少しずつ元気になりました。でも、私の体力気力より癌のパワーの方が強かったようです。私は平成十一年二月二五日、六十九歳で冥府へ旅立ちました。
残して行く妻が不憫であり、念願の随筆書などが未完成なのも残念ですが、これも運命と甘受しました。
誠に勝手ながら、私の死去に際し、ご来訪、御香奠、ご供料などのご配慮を賜ることは堅くご辞退願います。
歳月の浄化作用を受け、やがて妻も元気を取り戻すことでしょう。その節は励ましの言葉でもかけてやって下さい。
皆々様のご健康とご多幸を祈り生前のご交情に対し厚く御礼申し上げます。
                       合掌
                       竹中 允

「死亡の知らせ」の原文は以上ですが、この通知文を私がプリント、指定されていた関係者へ発送致しました。そして、その1年後の平成12年2月1日、故人念願であった随筆書が発刊されました。

竹中不拙著「随筆集『獅子身中の虫』」「文芸社」刊

実は、この発刊は故人の強い願望の実現です。私はその実現に微力ながら尽くすことが出来たことに感謝しております。
今年は、(故人が避けていた法要の)十回忌になります。ここに、改めてご冥福をお祈りする次第です。

2008年4月21日 (月)

平福(兵庫県佐用町)

Mzdfxwos 兵庫県の城下町・因幡街道「平福(ひらふく)」です。
この絵は、佐用川に架かる「天神橋」から東方向「京橋」を臨む風景です。6Bの鉛筆でスケッチ、用紙はアルシュ・極細目です。

平福にはスケッチポイントが多数あるということで、訪れましたが、佐用町の(城下町としての)文化財保存行政が行き届き過ぎて、古い土壁が新しく修復されたりして、本来の趣を損ねているように思いました。

そのことは、文化財を観光目的としている自治体に総じて感じていることでもあります。

それは、自治体の行政目的としての「町並保存政策」と平素そこで生活する住民の「快適追求願望」が必ずしも合致しないことに因るのではないかと思ったりしております。

2008年4月17日 (木)

四條畷神社(大阪府四條畷市)

Qucm7sqj 大阪府四條畷市の官幣社「四條畷(しじょうなわて)神社」です。
この絵はカラスの羽でラフスケッチ、淡彩で仕上げました。

さて、先日来、中田武仁国連ボランティア終身名誉大使とご子息故中田厚仁さんのご功績についてご紹介させて頂いたところ、多数のコメント等を頂戴致しました。ありがとうございました。

ところで、最近、私にとっての有意義な「余生」の過ごし方について、考えたりしております。
そのきっかけは、今回の中田さん父子の貴重な生き様を目の前にしてのことでありますが、その他もう一つの原因があります。それは(今回アップしたスケッチ画の)「四條畷神社」へのハイキングコースの途中立ち寄った、「室池」畔で見かけた次の石碑の一句にも起因しているように思います。

「立って半畳 寝て一畳 天下取っても二合半」

この前半の「立って半畳 寝て一畳」は、以前から承知しておりました。「人間起きているときは半畳、そして寝るときには一畳の広さがあれば十分である」という意味合いだと思っておりますが、後半の「天下取っても二合半」は、一体どんな意味だろうかと同行の仲間達と議論しました。
私は単純に「例え天下を取っても、人が一日に食べる米の量はたかだか二合半あれば十分だ」という意味ではないかと考えました。この文言の正しい解釈は後日資料で、確かめたいと思っておりますが、目下この一句は、「小欲」を提唱しているように解しております。

そして、余生を(有意義だといえなくも)楽しく過ごす鍵は、案外この「小欲」にあるのではないかと思うに至りました。
余生を楽しく過ごすのに、カネは有るにこしたことはないでしょうが、今自分の手元にあるカネで自分の楽しみを味あうのが「我が余生」ではないかと。

その意味でも、定年退職2年前から始めた水彩画の趣味は(今年で10年になりますが、)上達を度外視すれば、良き選択ではなかったかと思ったりしております。

従って、当初の1日1枚のスケッチ画、そして3000枚描画の目標達成に向けて、一途に邁進しなければならないと、改めて反省している次第です。




2008年4月14日 (月)

飯盛山(大阪府四條畷市)

Zn2i8oep 大阪府四條畷市「飯盛山」山頂の山桜です。いつもはスケッチ画をアップしていますが、今回は写真です。
一昨日(4月12日)、職場の仲間7人で「野崎観音」から「四條畷神社」に至るハイキングに出掛けました。山頂にはまだ山桜が満開、見事に咲き誇っておりました。

さて、先日来、私の職場の先輩である国連ボランティア名誉大使中田武仁さんが4月8日付けで「国連ボランティア終身名誉大使」になられたことをご紹介して参りました。
ところで、その前日の4月7日に中田武仁さんのお兄様が(主宰されているブログに)「国連ボランティア終身名誉大使」という表題の文章を掲載されたようです。以下、その文章をご紹介致します。

明日は甥の命日である。
私の弟の一人息子である甥は、1993年(平成5年)の4月8日、カンボジアで国連の選挙監視員として活動中に、何者かに銃撃されて亡くなった。25歳だった。

カンボジアは1949年に宗主国フランスから独立後、東西冷戦の歴史に翻弄され、クメール・ルージュを名乗る親中国政権のポル・ポト派の軍事革命政権下にあった。しかし、ポル・ポトの独裁と圧政も、反革命派によって政権が転覆されると国連の監視下に置かれ、そこで初めて民主選挙が実施されることになった。その選挙監視に国連のボランティア組織が監視員を派遣し、その活動(UNTAC)に私の甥も参加したのだ。

甥は私の長男と同い年だったから、互いに小、中、高、大学と競い合いながら、仲のよいイトコ同士だったし、私にも良くなついていた。だから、甥の死は私の家族にとっても衝撃だった。

弟は、それまで勤めていた総合商社を退職し、「息子の遺志をついでやりたい」と、自ら資金を集めて「ボランティア援助の基金」を設立した。突然に一人息子を亡くした弟にとっては、深い悲しみと義憤の中で、止むに止まれぬ決意だったに違いない。国連はそれを評価して、彼を「国連ボランティア名誉大使」に任命したのだった。

その後弟は、世界各地の紛争国や貧困地域を巡り、現地の実情を国連や関係機関に報告するなどして国際社会を啓発し、多少なりとも貢献を果たしたが、私は常に彼の健康を案じていた。当然ながら、彼の訪問先は治安も悪く、何よりも衛生状態が極めて劣悪な地域だったからである。

15年に亘って彼の奉仕活動は続いたが、このたび一つの区切りをつけるために、弟は「引退」を決意した。国連は彼の功績を認めて、「終身名誉大使」の称号を贈ることにし、明日、息子の命日を記念に、弟はこれを受けることにした。
身内ながら、私は弟に、「ごくろうさん」とねぎらってやりたいのだ。

2008年4月10日 (木)

大阪狭山市立公民館の櫻

486nfwfa 大阪府大阪狭山市立狭山公民館玄関横の櫻です。毎年見事に咲き誇ります。
その風景を水性サインペンでラフスケッチしました。用紙は水彩紙。和紙を使用しなかった結果、サインペンの滲みが強すぎたようです。

さて、一昨日(4月8日)午後1時前後に日本TV系列読売TVで「中田武仁国連ボランティア名誉大使に係る特別企画『今日は何の日』」が放映されることを案内したところ、多数の方々からご感想を頂戴致し、ありがとうございました。

私はただ中田武仁さんと職場でご一緒しているだけのご縁ですが、中田さんの偉業・ご功績をできるだけ沢山の方々に知って頂きたいと御案内させて頂いた次第です。

この惻隠(そくいん)の心(情)ともいえる行為が日本全国の人々に行き渡ると良いですね。

2008年4月 7日 (月)

緑ヶ丘中町(大阪府河内長野市)

Lgbs9psw 大阪府河内長野市緑ヶ丘中町の桜です。毎年楽しみにしていますが、今年も見事に咲きました。
6Bの鉛筆でラフスケッチしました。

さて、櫻といえば、西行法師の(広川寺での)辞世の句が有名ですね。そして、その句のとおり櫻の頃に逝去されています。
「願わくば 花の下にて 春しなむ そのきさらぎの 望月のころ」。

ところで、櫻は日本人の国民性(死生観)に合致して、根強い思い入れがありますね。その意味合いを端的に表している句は良寛の次の句でしょうか。
「散る櫻 残る櫻も 散る櫻」

この句を引用した辞世を、30年前広島県江田島にある「旧海軍兵学校『参考館』」で見つけたことがあります。

後世の安泰・平和を願って、若くして散って逝った彼等の冥福を、この櫻の頃、改めて祈念しなければなりません。

2008年4月 4日 (金)

大阪府立中之島図書館(大阪市北区)

Fcee5y8b 大阪市北区中之島の「大阪府立中之島図書館」の桜です。
今年も見事に満開、道行く人達の目を楽しませています。
6Bの鉛筆でラフスケッチ、それに水彩絵の具で淡彩しました。

本年2月橋下知事が就任、赤字財政解消の一環として箱物行政大改革が打ち出されましたが、その中で唯一除外されたのがこの中之島図書館と東大阪市荒本北にある「府立中央図書館」です。

さて、4月に入って目に付くのがガソリンスタンドの価格表示です。この間まで150円台であったのが一挙に120円台に値下げされています。
ところで、このことは、果たして単純には喜べない現象だと思います。
それはこのことによって生じる歳入欠陥は2兆5,000億円(国1兆6,000億円、地方9,000億円)に及ぶようです。その額は国家予算の3%に匹敵します。

私は国民の1人としてこのことを心配、ガソリン値下げを単純には喜べず、複雑な気持ちです。