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2008年9月

2008年9月30日 (火)

にらの花(大阪府河内長野市)

A6348

大阪府河内長野市の我が家の庭に植えていた韮(にら)に花が咲きました。

私は、にらにも花が咲くことを初めて知りました。家人はそんなことも知らずに、

家庭菜園をやっているのか、と笑っています。そういえば、ねぎや玉ねぎにも

花が咲いていましたね。

さて、「菜根譚(さいこんたん)」では、「孤高を誇るな」という表題で次のように

説いています。「前集」の第196項です。

山の頂には木も生えぬが、谷間には草木が生い茂る。はげしい流れには魚も

住まぬが、よどんだ淵には魚も亀も群れ集う。

ひとりよがりな行動や、あせった考え方には誰もついてこない。君子として耐えず

反省せねばならぬところだ。

2008年9月27日 (土)

パイナップル(水彩スケッチ画)

A6346

パイナップルを「ラッションペン」でラフスケッチ、淡彩しました。このペンは「水性」

記入されているので、彩色時ににじみを期待したのですが、にじみは一切あり

ませんでした。そこで、もう一度よく見ると、マジックペンの記載もあり、にじまなか

ったのは道理でありました。

にじみはぼかしと並んで、水墨画や日本画のテクニック、質感を表すのに重宝。

私は通常にじみを演出するときは、和紙に「ぺんてる水性サインペン」を使用して

いますが、このラッションペンは想定外でありました。

さて、「菜根譚」では「はったりを排す」という標題で次のように説いています。

「前集」の第181項です。

人を驚かせる計略や行動、奇妙な習慣や技能などは、すべて世をわたる上での

災難の原因となる。

至極当たりまえの道徳を守って生きることにより、人間本来のよさが現われ、世

界の平和が実現するのだ。

2008年9月23日 (火)

果物(水彩スケッチ画)

A6345

果物をボールペン(1.0mm)でラフスケッチ、淡彩で仕上げました。

例によって、左から電気スタンドの光を当てて、立体感がでるように工夫。

レモンを手前右下に配置したのは、画面構成に変化をもたせるためです。

さて、夕方久し振りに家庭菜園に行って来ました。案の定草が生え放題、畑の

養分をたっぷり吸い取ったかの様相でありました。秋の植え付けに備え、当分

根気よく草刈りに専念しなければならないと決心したものでした。

さて、先日から、中国の古典「菜根譚」の一節のご紹介を再開しております。

「前集」第188項では、「潔癖の害」という標題で次の様に説いています。

世間をわたるのに、あまりにも潔癖すぎる態度はよろしくない。いろいろな汚い

ものをも、腹のなかに納めてしまう度量が大切だ。

人とつきあうのに、白か黒かでレッテルを貼ってはならない。善悪賢愚、さまざま

人々を、平等に受け入れるのが望ましい。

2008年9月21日 (日)

淀屋橋界隈(大阪市北区)

A599221

この写真は大阪市北区、地下鉄御堂筋線「淀屋橋」から北方向、堂島川に

架かる「大江橋」北詰からの風景、私の好きな代表的大阪の風情です。

さて、「水晶橋」の向こうに見えるのは「中之島公会堂」、その右隣は「中之島

図書館」ですが、背後には高層ビル群がそびえ立ち、これらの文化財建築物

の存在感を希薄にさせているように思います。しかしそれは、仕方のないことで

はありますね。

そこで、登場するのが絵画、絵画でのデフォルメは重要な要素、画題を如何に

取捨選択するかが肝要ではないか、と考えております。

A6111

上記の考えに基づいて描いたのが(以前に掲載した)この絵です。この絵は、

ボールペンでスケッチ、淡彩で仕上げています。

背景のビル群を省略したのは当然のことですが、実景での「中之島公会堂」の

位置を「水晶橋」中央寄りに移動して描いております。

私はこの淀屋橋界隈の風景は、この反対側にある「日本銀行大阪支店」を含め、

大阪を代表する情緒ある風情の一つではないかと常々思っております。

2008年9月17日 (水)

酔芙蓉(河内長野市緑ヶ丘北町)

A63391

河内長野市緑ヶ丘北町の「緑の小径」に咲いていた「酔芙蓉」です。この花は、

一日の時間の経過によって色が変化します。白い花があたかも酒に酔ったよう

な色に変わることからこの名前が付いたようです。近々、スケッチしてみたい

とも思っております。

さて、気のあった仲間との歓談はこの上なく楽しく、盛り上がるほどに散会し難く

なるものですが、件の「菜根譚(さいこんたん)」、後集第10項では「宴のあと」

という表題で、次のように説いています。

客人や友達を大勢あつめ、大宴会を催して楽しむ。だが、いつか夜もふけて、

ともし火は残り少なく、香は尽き、茶は冷えて、興もすっかりさめはてる。なかには

むせび泣きする者さえ出る始末だ。

世間の楽しみごとは、たいていこんなものなのに、どうして人々は早く気づいて

切りあげようとしないのだろう。

2008年9月15日 (月)

絵のなかの散歩(新潮文庫)

A63311

写真は美術評論家で作家の洲之内徹(すのうちとおる)さんの著作、「絵のなか

散歩」(新潮文庫)です。

私はこの本を10年前に読みましたが、印象深い記述があったことを思いだして

読み直しているところです。

ところで、私達が美術館や各種展示会で目にする作品は古今東西無尽蔵です

が、そんな中、どんな絵がいい絵か、と問われた場合、なかなか一言では答え

にくいものですね。

その問いに対して、洲之内徹さんはこの著作の中で、次のように答えています。

「いい絵とは何か?一言で答えなければならないとしたら、盗んでも自分のもの

にしたくなるような絵である!」

2008年9月11日 (木)

瓢箪(水彩スケッチ画)

A6335

これは丈が12cm位の小さな瓢箪です。以前に和歌山の親戚から戴い

です。近々、色彩を施して紐を付けて仕上げたいと思っております。

その瓢箪を鉛筆でスケッチ、淡彩しました。先日に引き続き、影と光を表現する

題材です。と、いいながらこの絵は瓢箪にできる影の色が濃すぎたかも知れませ

ん。それと瓢箪の丸みや質感の表現が不十分だと反省しております。

例によって、左側から電気スタンドの光をあてて影を演出しました。

さて、このblogは開始以来2年半が経過しましたが、その当初には中国の古典

「菜根譚(さいこんたん)」の一節をご紹介していました。その内容は、400年前

に書かれた内容が、現在の世相、生活を円滑に過ごすのに有用な教えを説いて

いるように思えるからでした。久方ぶりにご紹介を再開したいと思います。

「前集」第216項では、「後悔のもと」という表題で次のように説いています。

「機嫌のよいときに安うけあいをするな。酒に酔って怒りを爆発させるな。いい気

になって仕事の手をひろげすぎるな。嫌気がさしてしめくくりをいいかげんにする

な。」

2008年9月 6日 (土)

いちじく(河内長野市緑ヶ丘北町)

A6334

河内長野市緑ヶ丘北町の我が家の庭で収穫した無花果です。植えてから4年

目ですが、幹の背丈は3mを越えるほどに成長しました。その結果、折角の収

も私の手のとどく範囲内で、上の方の実の収穫は諦めております。もったい

ないことです。

ところで、最近知ったのですが、無花果の木は通常「一文字仕立て」にするよう

ですね。そうすれば地を這うように幹が生長して、収穫が容易にできるとのこと。

我が家の幹は真っ直ぐ天に向かって成長し続けています。来年はせめて枝を

地面に近づけるよう、紐で固定したいと思っております。

さて、その無花果をスケッチしました。ボールペンで描いて、水彩絵の具で仕上

げました。光は左側から差しています。件の「グリザイユ画法」で、影がはっきり

するように電気スタンドの明かりを利用しております。

2008年9月 4日 (木)

城下町「平福」の風情(兵庫県佐用町)

A6331

今回も前2枚の水彩画スケッチの画題となった、兵庫県佐用町の城下町「平福」

の街並みです。

ところで、この絵の左側と右側の建物は、先日の記事にそれぞれ登場した隣り合

わせの建物、それらの建物を少し離れて、両方を1枚の画面に描いてみました。

角度を変えて描いたせいか、先日のそれぞれの作品とは違った風情になった

ように思います。

uniボールペン(1.4mm)でラフスケッチ、色数を少なくして、モノクロトーン調に

上げしましたが、特に「グリザイユ画法」にこだわって、影の強弱の表現を重視

しております。

けだし、前のそれぞれの画面とは違って、この絵の方が江戸時代の街並み保存

風情が伝っているのではないか、と思ったりしております。

2008年9月 1日 (月)

平福の古民家(兵庫県佐用町)

A6329

兵庫県佐用町平福の民家です。先日に続いて城下町の建物の掲載です。

この絵は、ステドラーの2Bと4Bの鉛筆でスケッチ、水彩絵の具で淡彩に

仕上げました。

着彩は例によって、「グリザイユ画法」に則って、まず影の部分を(ウルトラ

マリーンブルーとバーントアンバーの混色による)灰色で塗ってから他を彩

色しました。

果たして江戸時代の文化財保存建物の風情が表現できているでしょうか、

不安の残る出来映えです。