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2009年3月

2009年3月30日 (月)

大阪市立天王寺公園

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「彫像『飛翔』」

大阪市立天王寺公園です。JR天王寺駅・近鉄線阿倍野駅から徒歩3分です。

この公園は、意外に古く開設は明治42年(1909年)です。美術館はこの公園

の中にあります。「関西水彩画展」を鑑賞するために入園しました。

園内には、旧住友家名園「慶沢園」や「茶臼山古墳」、「市立美術館」があります。

昭和62年(1987年)に開設された「天王寺博覧会」を契機に大改造、水と緑を

ふんだんに取り入れた公園へと一新されました。

以前は、市立図書館もあって、図書館の中には「オーディオルーム」がありま

した。曲目はクラシック音楽のレコード演奏でしたが(私の好みはモダンジャズ)、

雰囲気が好きでよく立ち寄ったものでした。懐かしい思い出です。

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「花壇」

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「フェルメールの小径」

平成12年(2,000年)4月4日から7月2日まで大阪市立美術館において、

日蘭交流400周年記念事業の一つとして、特別展覧会「フェルメールとその

時代」が開催されました。

大阪市立美術館に通じるこの道は慶沢園拡張工事により、四季の花が楽しめ

る散策路として、この特別展覧会の前に整備されました。

会期中、約60万人の人々が17世紀オランダ絵画の名品を鑑賞するために

この道を通りました。多くの人々に感動を与えた「フェルメールとその時代」展

の開催にちなんでこの道を愛称として「フェルメールの小径」と名付けられました。

さて、「菜根譚」のご紹介です。『前集』第93項では、「無位の公相、有爵の

乞人」という表題で次にように説いています。

 人格をみがき、社会への奉仕を積めば、たとえ地位はなかろうとも、王侯貴族

にまさる人だ。

 権威をかさにきたり、恩恵で人の心を買おうとするならば、たとえ高位高官に

あっても、乞食同然の人だ。

2009年3月26日 (木)

大阪市立美術館(水彩画スケッチ)

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「大阪市立美術館」(大阪市天王寺区茶臼山町)です。通称「天王寺美術館」の

呼び名で親しまれています。

この美術館は、昭和11年5月1日に開館しましたが、日本の国公立美術館の

でも歴史は古く、美術団体展や大規模企画展の他日本美術や東洋美術の

コレクションを多数擁しています。

その美術館正面をスケッチしました。件の「グリザイユ画法」で影の部分に灰色

を入れただけで彩色はしておりません。

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「美術館 正面」

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「慶沢園 正門」

「慶沢園」は大阪市立美術館の裏側に位置しますが、美術館はこの慶沢園の

敷地内であったところです。

この慶沢園は住友家茶臼山本邸庭園として、明治41年に造園が開始された

林泉回遊式の近代日本庭園です。完成までに10年を費やし、完成後大正10年

に住友家から隣接する茶臼山とともに大阪市に寄贈され、一般に公開されて

います。

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「美術館 裏側」

慶沢園から見た美術館の裏側です。慶沢園から眺めた景観が損なわれること

のないようにこちらが正面かと見まがう程の様子をしています。

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2009年3月22日 (日)

泉南メモリアルパーク(大阪府阪南市箱作)

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今日午後、亡父母の墓参りに行って来ました。墓は、大阪府阪南市箱作の

「泉南メモリアルパーク」にあります。

写真上部に見えるのは「関西国際空港」への架橋。その右は「りんくうタウン」。

泉南メモリアルパークは、大阪市設の公園墓地、開園は昭和54年10月です。

まもなく開園満30年を迎えることになります。

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これは公園墓地からの眺め、彼方に見えるのは「関西国際空港」、離発着の

航空機が時たま見かけられます。風光明媚な土地柄です。

ところで、この公園墓地は27,000霊地を擁する広大な墓地です。そんな中

奇しくも拙宅のお隣さんの墓が同じ区画の1列隔てた並びにあることです。

そして又、今日偶然にも同じく墓参りに来られていた家族の方にお会いしまし

た。

お隣さんには何かとご交誼を頂いています。私がお借りしている家庭菜園は

お隣が借りている畑の一画、ことほど左様近しくおつき合い願っております。

やがてこれから先、お互い長くても何十年か先にはそれぞれ瞑府へ旅立つ

ことになりますが、瞑府へ旅立った後にも、お隣とはお墓が近所、永遠のおつき

合いになりそうで喜んでおります。

さて、『菜根譚』のご紹介です。「前集」第185項では、「ものには限度」という

標題で次のように説いています。

 自分の心を見失うな。人の好意にすがりきるな。限度をこして物を酷使するな。

 この三つの心得を守ることによって、天地の神の心にかない、人民の生命を

守り、子孫を幸福にすることができる。

2009年3月20日 (金)

瓢箪に色づけ(Ⅱ)

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先日の瓢箪に色づけしてみました。アクリル絵の具の「ナフソール クリムソン」に

少し「ジェル メディウム」を混ぜて塗りました。光沢を増すためには、メディウムを

単独で更に塗り重ねた方が良いのかも知れません。

頂戴した瓢箪は全部で4個、試行錯誤をしながら仕上げたいと思っております。

さて、『菜根譚(さいこんたん)』を適宜ご紹介しておりますが、『菜根譚』がわが国

に伝えられたのは江戸中期以後のことです。

代々学問奨励の気風盛んな加賀前田藩の林瑜(はやしゆ)という儒者が、本書

を読んで感嘆、文政5年(1822、将軍家斉の治世)に復刻したことから、世に

拡まったようです。

今回ご紹介する『菜根譚』の一節は、「前集」第40項「ひとたび退歩せばすなわ

ち遠く千山を隔てん」という標題です。

 手近に望みがかなうからといって、つまらぬ欲望にふけるのはやめよ。一度、

その味を覚えると、深みにはまるばかりだ。

 困難だからといって正義を行うのをためらってはならぬ。一度、後退してしまう

と、際限がなくなるものだ。

2009年3月16日 (月)

瓢箪に色づけ

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これは、1年前に和歌山の親戚から頂戴した瓢箪です。丈は12cmの小型です。

瓢箪の(中身の)種を抜いて、このように仕上げるのは大変な手間がかかります。

40年前、私も実際に経験したのでよく分かっています。

この瓢箪に彩色してみたいと思っています。せっかく手間をかけて仕上げられた

瓢箪、失敗は許されません。帆船模型組み立てを趣味としている友人にアクリル

絵の具での彩色についてご教示をお願いしております。

さて、今夕「広田弘毅」のテレビドラマを途中から視聴しました。

広田弘毅といえば、以前に城山三郎の小説「落日燃ゆ」を読みました。

そのときの印象は、彼の信条が「自らのために計らわず」ということでした。

そしてそのことを終生貫徹したことでしょうか。黙して語らず、自己弁明しようとせ

、唯一の文官として戦争犯罪者の汚名を着せられ絞首刑に服したことでした。

ところで、瓢箪のことを書きながら、広田弘毅を連想したのにはわけがあります。

それは彼のもう一つの信条が「風車 風が吹くまで 昼寝かな」でありました。

飄々とした処世訓が瓢箪を連想させたのかも知れません。

2009年3月12日 (木)

五重塔(仁和寺)

Photo

2月末日、職場の仲間で京都「北野天満宮」へ観梅に訪れましたが、その帰途、

「仁和寺(にんなじ)」にも立ち寄りました。このスケッチ画は仁和寺の「五重塔」

です。

耐水性の水性ボールペンでスケッチ、彩色は「セピア」のみ、両側の樹木は塗ら

に輪郭だけにとどめました。

さて、この「五重塔」は高さ36m余り、寛永21年(1644)に造営されました。

ところで、全国に五重塔はあまたある中でこの「五重塔」は際だって形が整って

いるように感じております。

それは、一般的には五重塔の屋根は上層のものほど小さくなっていますが、

仁和寺の「五重塔」は各層の屋根の大きさに大差がないことにも因るのかも知

ません。そのことは江戸時代建造物の特徴を示しているようでもあります。

「菜根譚」の一節をご紹介します。「前集」第65項では、「暗室のなかにも晴天

あり」という標題で次のように述べています。

 心さえ澄みわたっていれば、暗黒の場所にいても光明に包まれ、良心を見失う

ことはない。心が曇っていれば、光明のなかにいても悪魔の誘惑に本心を奪わ

れてしまう。

2009年3月 8日 (日)

今井町(水彩画)

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「河合酒造蔵元」

奈良県橿原市「今井町」へスケッチにでかけました。この絵は創業が江戸時代の

「河合酒造」です。6Bの鉛筆で描いてみました。

大和の今井町は旧環濠内に今尚昔ながらの伝統的家並みが建て並ぶ日本でも

数少ない町として保存されている所です。中世末(織田時代)から住宅として、

また町の形成と発展とを知る上で極めて貴重な資料を提供し国の文化財の指定

を受けています。

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「今井まちづくりセンター(来訪者案内所)」

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「称念寺」・「明治天皇御在所」

称念寺を中心とした寺内町今井は完全な城塞都市で、江戸時代初期の概略

考えると、東西600m、南北310m、周囲には環濠土居を築いた戸数1100

軒、人口約4,000数百人を擁する財力豊かな町でありました。

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町割りは西、南、東、北、新、今の六町に分かれ、9つの門からは木橋を通って

濠を渡り、外部の道路と連絡しています。内部の道路で見通しのきくものはなく、

ほとんどが一度屈折させています。これは、敵の侵入に備えて、その遠見、見通

し、弓矢・鉄砲の射通しを不可能にするためであったようです。

ところで、町並みを写真に撮ってみると、電信柱が目障りではありますね。

通常の風景では、電信柱は町並みの生活感を表す重要な役割を担っているとも

いえますが、「重要伝統的建造物群保存地区」の景観には目障りそのものでしか

ありません。そのように思って、案内資料を読み返してみると、この町並み全体

について「電線地中化整備計画」があって、全体の3分の2は整備済みとのこと

でありました。

私が訪れたのはその未整備地区であったようです。その整備が完了すれば、

江戸時代の建造物群は一段とその存在感を発揮することでしょうね。その頃、

改めて是非とも訪れたいものだと思ったりしております。

2009年3月 7日 (土)

うさぎの縫いぐるみ(水彩画)

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うさぎの縫いぐるみをスケッチしました。ペンはいつもの耐水性の水性ボール

ペンです。背景にセルリアンブルーを塗りましたが、薄すぎたかも知れません。

さて、昨日午後8時からTV大阪(19ch)の番組「世界を変える日本人・歴代

スゴイ人一挙公開」の中で、以前ご紹介してきました職場の先輩中田武仁氏

のご子息中田厚仁さんが16年前、国連ボランティア活動中にカンボディアで

殉職されたことが取り上げられておりました。生存されておれば今年40歳、

有為な人材として活躍されていたであろうと確信致します。改めてご冥福を

お祈りする次第です。

「菜根譚」の一節のご紹介です。「前集」第125項では「知性と意志」という標題

で次のように説いています。

 私情にうちかち、欲望をおさえるためには、まずそれをいち早く自覚しなけれ

ば容易ではないという説がある。

 また、たとえそれを自覚することができても、意志が弱くては負けてしまうという

説もある。

 思うに、自己の心を自覚する能力は、悪魔を発見する宝珠であり、欲情を克服

する意志は悪魔を切ってすてる名剣であろう。この両者は、ともになくてはならな

いものだ。

2009年3月 4日 (水)

大阪城梅林公園

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3月1日(日)、大阪城公園の梅林をスケッチしました。耐水性の水性ボールペン

で描きましたが、遠景の城は鉛筆で薄く描き込むにとどめました。

さて、このブログ「朝露日記」は2月26日(木)、満3周年を迎えました。

平成18年2月26日、最初の記事は「セイロン弁慶草の誕生」でありました。

3年目くらいで花が咲くので楽しみにしておりましたが、残念ながら、半年前の風

の強い日に5本とも全滅、花を見ずに枯れてしまいました。やむなく次に登場した

のが拙いスケッチ画であります。今後共そのスケッチ画をメインにして継続して

たいと思っております。よろしくお願い致します。

ところで、昨日、いつもお世話になっている理髪店「Broad way」の帰途、以前

店長さんから聞いていた(狭山ニュータウンセンターの)精肉店「田能久」に立ち

寄り、ステーキ肉を買って帰りました。幸い、昨日は特売日とかで定価の3分の1

の価格でありました。

夕飯の準備をして帰ったのは、家内が友人と和歌山県加太「淡島神社」の「雛流

し」を見学に出かけていたからでした。

「雛流し」は雨の中、執り行われたようですが、7,000人の見学者で賑わった

ようです。

2009年3月 2日 (月)

北野天満宮(京都市上京区)

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「北野天満宮・山門」

2月28日(土)、職場の仲間9人で京都「北野天満宮」へ観梅に行って来ました。

その前後には「等持院」や「仁和寺」へも参詣しましたが、梅は今が最盛期、

大変な人出でありました。

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「北野天満宮・本殿」

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「等持院・山門」

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「仁和寺・山門」

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「金堂」(国宝)

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「御室仁和寺駅」(嵐電)

この駅から四条大宮へ、そこの居酒屋「村さ来」で歓談して帰途につきました。

さて、先日白州正子没後10年の記念特集番組がNHKで放映されましたが、

私たちが帰宅途中の時間帯に、今度は白州次郎のスペッシャルドラマが放映

されていました。残念に思って、家内に話したところ、録画してあるとのこと。

嬉しくなって早速視聴しました。連続もので、毎週土曜日午後9時からの放映

です。