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2011年8月

2011年8月31日 (水)

いけばな(啓心流)

1954

木田勝心斉さんは毎月末に「近鉄奈良線永和駅展示コーナー」にいけばなの

作品を出展されています。

今月の作品の花材は、「馬酔木(アセビ)・クルクマ・ケイト」です。

今回、ケース内に花材名の表示はありませんでした。作者はどなたも周知の

花材だと思われたからなのでしょうか。私は作者にお聞きして知りました。

1949

「ワケギ」、4日前に植えた種球が一部発芽しました。

灌水を続けて、全部の発芽を促したいと思っております。

1948

「オクラ」の可憐な黄色に透き通った花。

この花が萎んで、実をつけます。

1950

つるなしいんげん豆「モロッコ」は順調に生長。収穫は9月20日頃、でしょうか。

1946

剪定していたナスの木に「秋なす」が。今年の秋なす収穫第1号です。

1951

今朝収穫したピーマン、オクラそして秋なす。

秋なすは柔らかくて美味しそう、古来「秋なすは嫁に喰わすな」というようですが

その真意は不可解ではあります。

1947

お借りしている畑には水の設備はありません。日照りのときはポリタンクで水道

水を運んでいます。でも、この降雨で当分はその労から解放されそうです。

1953_2

これは帰宅途中、バスの車窓から見た「コスモス」。初秋の到来を感じます。

2011年8月29日 (月)

貝塚寺内町(水彩画スケッチ)

1945

大阪府貝塚市の「貝塚寺内町」へスケッチに行って来ました。

この画は「願泉寺山門」、鳥の羽ペンに墨汁をつけてスケッチ、透明水彩絵の具

で彩色しました。訪れたとき、この扉は開門されていましたが、夕方閉門された

様子に仕上げてみました。建築材木は欅(けやき)だと思われます。荘厳な

雰囲気が気に入って、描いてみた次第です。

19431

「願泉寺本殿」、真言宗本願寺派、この「貝塚寺内町」の中心となっているよう

です。

1944

「願泉寺山門」脇にある「貝塚寺内町めぐりみち」の案内図。

「寺内町」といえば、「富田林寺内町」や「(奈良)今井寺内町」は知っていましたが

貝塚にも「寺内町」があったのですね。探せば他にも存在しているかも、ですね。

1933

「貝塚寺内町めぐりみち」の標識が敷石道に埋め込まれております。

1937

「感田神社」、「願泉寺」の南東にあります。

1938

「感田神社」境内にある「明治三十七八年戦没祈念碑」。

どんな事象に対する祈念碑かは不詳。調べてみたいと思っております。

1935

民家に表示されている「有形重要文化財」の標識。

この民家は明治時代の建築、寺内町の「街並み保存」行政に寄与しているの

でしょう。

2011年8月26日 (金)

畑作3年目の記録(其の8)

1920

これは昨年収穫後に確保した「ワケギ」の種球。今日、畑に植え付けました。

植え付け前、30分間水に漬けています。これは発芽を促すのに有効だと思って

のことです。

1921

ワケギの種球は3粒ずつ、10cm間隔で植え付けました。発芽を容易にする

ため被せる土は種球が隠れるすれすれにとどめました。

種球を植えてから3週間後に10cm以上に生長、2株おきに間引きを兼ねて

収穫。2株おきの収穫が終わったら、次は株間が30cmになるよう間引きなが

ら収穫します。

12月から1月は生育停滞期に入るので収穫は中断。2月下旬から再び新葉

の発生が始まり3月下旬まで続く。それは秋どり時より太くなります。

そして、来年の種球にする2~3株を残し、順次収穫します。

このようにすれば、、種球は(毎年)翌年分を自家採取できて重宝です。

1922

つるなしインゲンの種蒔きから3週間が経過、先日支柱を立てて固定。

その後順調に生長、来月20日頃には収穫時を迎えそうです。

1924

秋なす収穫のため、3週間前に剪定したナスの木に新葉が出てきました。

この2~3日降雨があったのでそのお陰でしょう。ナスには水遣りが肝要なのが

よく分かります。

1926

サツマイモは乾燥に強い作物ですが、この降雨で葉っぱが生き生きとしてきた

ように思います。

1929

カボチャの葉っぱも元気に生長。しかし肝心の結実が乏しいようで心配です。

1928

オクラ。毎日収穫しないと実が20cmくらいになって食べ頃を逸してしまいます。

降雨があれば尚更です。

1919

ピーマンの収穫が順調に推移しています。

ピーマンはナス科で、連作を嫌います。4年以上空けないと連作障害を起こす

ので、そのことを留意して植え付けの場所を選定したのが功を奏したのでしょう。

1932

ピーマンは3株植え付けましたが2日に1回、これ位の収穫があります。

3株の植え付けは多すぎたようで、これも反省材料となりそうです。

左から2本目のオクラは収穫時を過ぎています。

1930

午後5時に畑へ出掛けていつの間にか6時半、夕焼けの日没です。

夏至から2ヶ月が経過、てきめんに日照時間が短くなったのを実感しています。

2011年8月23日 (火)

「神座(かむくら)」のつけ麺(河内長野店)

1911

「神座かもくら)」河内長野店で「つけ麺」(680円)を食べました。

煮玉子はトッピング、100円追加です。

実はこのトッピング、前回訪れた際にアンケート用紙記入に協力した代償で、

サービス。従って支払は680円でありました。

つけ麺は具の入ったつゆにゆで麺を少しずつ入れて食べるのですが、若者に

人気とか。試しに食べてみた次第です。これは麺のゆで具合が勝負でしょうね。

1910

厨房は20~30代の若者ばかり。店内の案内係やお運びの店員はもっと若く、

10代でしょうか。このラーメン専門店は独特の雰囲気を醸し出しています。

1913

ここ2、3日待望の降雨があったので水遣りから解放されて、久し振りに畑へ

行ってみると、つるなしいんげん豆(「モロッコ」)が大きく成長していました。

1915

幹が不安定になっていたので添え木を付加しました。

今回、種蒔きは3粒ずつ点撒き。そして育った苗をそれぞれ間引いて1本仕立

しています。

ところで、参考書によると「つるなしいんげん豆は2本仕立てにする」と書いて

います。このことは1本仕立てにしてしまってから気付きました。後の祭りです。

これも反省材料に追加しなければなりません。

1916

オクラとピーマンを収穫しました。

雨後の急成長で、オクラは大きくなり過ぎです。やはり収穫はこまめにすべき

ですね。

2011年8月18日 (木)

「JRおおさか東線」(JR西日本鉄道)

1860

「JR河内永和駅」から「JR久宝寺駅」経由で「天王寺駅」まで乗車してきました。

このうち、「JR河内永和駅」から「JR久宝寺駅」は「JR西日本・おおさか東線」。

始発は「JR放出(はなてん)駅」、終点は「JR久宝寺駅」になります。

この路線は元来「城東貨物線」でしたが、これを改良して旅客営業できるよう

にしたもので、平成8年3月15日に開業されました。

開業して3年半が経過、私は初めて乗車してみました。

1861

現在、おおさか東線は「JR放出駅」から「JR久宝寺駅」まですが、将来の始発

「新大阪駅」になる計画があるようです

1862

乗車したのは平日の昼過ぎで、乗客はまばらでした。

ところで、大阪東部には東西を走る鉄道は近鉄線などがありますが南北は

なく、この南北を貫く城東貨物線の旅客化は地域の長年の念願でもありました。

この貨物線を旅客化するについては、東大阪市出身の代議士が活躍。

約40年かかっての実現でありました。

1864

さて、おおさか東線で終点「JR久宝寺駅」まで乗車。そこから「関西線」に

乗り替えて、「天王寺駅」へ向かいました。

写真は天王寺駅南側にある「近鉄百貨店あべの店」の増築風景。

大阪キタやミナミに続いてこの天王寺界隈も開発ラッシュ。アウトレット風の

大型店舗が既にオープン、随分と様変わりしました。

1863

天王寺公園入口前では縁台将棋、昔ながらの風景です。

この風景は「長居公園」でも見かけました。大阪は将棋の奇才阪田三吉の生ま

れ育ったところ、大阪には将棋を好む風土があるのかも知れません。

1865

天王寺公園から見る「通天閣」。

天王寺公園は確か大阪万博のときに有料化。大規模な整備に伴って、大阪

市立天王寺図書館は無くなって、完全な植物主体の公園となっています。

1868

「慶沢園」の表門。天王寺公園の北側に隣接しています。

1867

慶沢園は旧住友財閥からの寄付で、この茶臼山に恰好の市民の憩いの場を

提供。大阪には少ないといわれている得難い貴重な緑多き庭園でもあります。

1869

「天王寺美術館」から天王寺駅に向かう道路。

数年前はこの両側にカラオケの屋台が連なって騒音をまき散らしていましたが、

市がそれらを強制退去させて整備、今は閑静な雰囲気を取り戻しています。

1870

その道の中程には百日紅の花が満開。真夏の花が少ないときに咲いて、

3ヶ月間我々の目を楽しませて呉れています。

1872

開発が進む、天王寺駅界隈。数年後には、近鉄百貨店増築や付近の大型店舗

工事が完成、大阪駅や難波駅周辺に次ぐ都市整備が実現することでしょう。

1871

天王寺駅と近鉄百貨店を結ぶ架橋から西側を臨んだ風景。

数年先にはこの近辺の大規模整備は完成することでしょう。でもそれは、大阪

駅前や難波駅周辺とはまた違って、ローカル色豊かな親しみのある変貌となる

のではないか、と思ったりしております。

2011年8月14日 (日)

畑作3年目の記録(其の7)

1901_2

いんげん豆「モロッコ」の苗が無事に育っています。

8月はじめに種蒔き(3粒ずつ点撒き)して1週間目に発芽。一箇所に3本ずつ

成長してきた3本仕立てを、そのうちの2本を間引き、1本仕立てに。

1902_2

そして、風に耐えられるように小枝を交互に刺して補強しました。

1900

このいんげん豆は50日で収穫できるとのこと。9月20日頃が楽しみです。

1903_2

連日の猛暑、幾分涼しくなる午後5時頃に作業開始しますが、午後7時には

日没を迎えてしまいます。

そういえば、一番日照時間の長い夏至の頃は8時前まで明るく、作業がゆっくり

できました。それから2ヶ月が経過。月日の経つのを早く感じます。

(追記)

1905

不作だといわれていた「ピーマン」、意外に収穫できています。

1904

きゅうりはそろそろ終わりを迎えたようですが、ナスの収穫も最終段階のようです。

1906

秋なすに向けて、ナスの木を剪定しました。正しい要領が分からず、かなり適当

です。

ところで、「秋なすは嫁に喰わすな」という言葉を耳にします。

それについては、「秋なすは身体を冷やすから」などと、嫁をいたわる言葉だと、

諸説ありますが、結局は秋なすは少ししか獲れないので嫁には食べさすな、と

う単なる姑の嫁いびりが真相ではないか、という結論に達した次第です。

2011年8月11日 (木)

阪堺電車「浜寺駅前駅」(水彩画スケッチ)

1899

阪堺電車(正しくは、阪堺電気軌道)「浜寺駅前」駅舎をスケッチしました。

カラスの羽根で墨汁を使ってのラフスケッチ。彩色は透明水彩絵の具です。

この絵の反省点は、電車を描かなかったことでしょうか。駅舎だとかろうじて

分かるのは「阪堺電車のりば」の看板があるからに過ぎません。

ところで、先日の記事で阪堺電車とあるのは(正しくは)、「阪堺電気軌道」。

そしてその終点は「恵美須町」でありました。

1894

1895

「浜寺公園」入口には現天皇陛下が皇太子時代にご成婚された記念碑が。

1889

浜寺公園といえば、「浜寺水練学校」が有名でした。今もあるのでしょうか。

現在は各地にスポーツクラブが運営する「スイミングスクール」があって、

各種選手を養成していますね。

1884

建物は「レストハウス」。

浜寺公園には「公営プール」や「バラ園」があって、広く市民に憩いの場を提供

しています。

1885

スケッチに出掛けた日は猛暑日で、水分補強のペットボトルは3本空けました。

そんな中、噴水は涼しげな風情をかもし出しておりました。

1900

8月初めに種蒔きしたいんげん豆「モロッコ」は順調に発芽。もう少し大きく

なれば、間引いて追肥を施したいと思っております。

これは「つるなし、すじなし」とのこと。収穫を楽しみにしております。

2011年8月 8日 (月)

浜寺公園(水彩画スケッチ)

1882

大阪府堺市西区の「浜寺公園」へスケッチに行って来ました。

写真は、野外陳列されている小型漁船(伝馬船の廃船)のスケッチです。

件の羽根ペンに墨汁を使ってスケッチ。グリザイユ画法で、影に陰影をつけ

ました。

1881

この日は気温35度を超す猛暑日、松の大木の木陰からスケッチ。

モチーフ探しよりも暑さ対策が優先しているのかも。

この絵は、実景の背景などは省略して描いています。

1897

訪れた南海本線「浜寺公園駅」は、一風変わった木造平屋建ての駅舎です。

明治40年建築。設計者は東京駅や日本銀行本店などを手がけた建築家

辰野金吾。平成10年には国の登録有形文化財に認定されています。

1892

阪堺電車「浜寺公園駅」。古びた駅舎は絵になりそうです。

阪堺電車の始発、終点駅。「阿倍野橋駅」までは45分の所用時間とか。

おそらくこの電車は赤字路線、存続の悩みを抱えているように思います。

描くのは今のうちかも知れません。

2011年8月 6日 (土)

畑作3年目の記録(其の6)

1856

「モロッコ」という名のいんげん豆の種を蒔きました。

1858

予め苦土石灰を鍬込んで1週間後、乾燥鶏糞を元肥として施しています。

1857

種蒔きは30cm間隔で1箇所に3粒ずつ点蒔きしました。

1877

そして1週間が経過、芽が出だしました。小鳥からの防護のため藁を被せて

います。それは猛暑での水分蒸発を防止する役割にもなると考えています。

双葉が本葉になる頃、1本仕立てに整理したいと思っております。

1874

1875_2

畑の作業は夕方2時間程度。夏至から1ヶ月半、日暮れの時間が早くなって、

いつの間にか薄暮、三日月が見えたりします。

1876

「なす」や「きゅうり」は毎日収穫。最近はやっと「ピーマン」も混ざるようになり

ました。

2011年8月 3日 (水)

豊魚亭(神奈川県三浦市)

1806

神奈川県三浦市の「豊魚亭」。

三浦市三崎港は日本有数のマグロの水揚げ港として有名です。

7月16日、亡妹の一周忌で訪れた際の晩餐はこの「豊魚亭」でご馳走に

なりました。

1805

池には見事な錦鯉が。

1814

亡妹の一周忌が済んだその日は親戚宅で一晩お世話になり、一泊。

そして翌昼前、京浜急行電車「三崎口駅」から乗車、「品川駅」へ向かいました。

往路は夜行バス「コクーン」で8時間でしたが、復路は品川駅から新幹線のぞみ

で新大阪まで2時間30分。やはり新幹線を利用する方が身体には楽でありまし

た。

さて、その京浜急行電車車中でのちょっとした出来事です。

私は始発駅の「三崎口駅」から乗車。「品川駅」へ向かう途中での出来事です。

私が座っていたのは車両最前部左側の(対面)4人掛けの「優先席」。

そして私の向かい席に一人、そして又一人老人が座りました。

ところで、その右側にも同じような4人掛けの「優先席」があります。

その右側の「優先席」には小学校高学年とおぼしき野球の練習に赴く少年達

が掛けていました。

そして、品川へ向かうその電車が「金沢八景駅」に到着。混み出して、通路に

年輩者が立ちはじめました。

すると、私の前に座っている老人が「優先席」に掛けている少年達に向かって

「君たち!年輩者に席を譲ったら!」と、声を掛けました。少年達はそれに

素直に呼応。立って、年輩者に席を譲りました。

そこで、その老人はもう一人の老人に対して、「少年達は気が付かないだけで、

注意すれば素直に気が付くものですね」と、得意げに話しかけます。

私は居眠り半分でこの様子を見聞きしておりました。

そして、「横浜駅」に到着。私の前に座っていた老人が下車。続いて、右側

優先席の年輩者達も下車。優先席が空きました。すると、すると、立っていた

少年達が(降車する)注意した老人の姿を目で追いながら、その空いた優先席

に笑いながら座ったのです。

あの得意げに注意して悦に入っていたあの老人の思いはどうなったのでしょう。

と、思ったりしてしまいます。

そういえば、明治時代、寺田寅彦が「当世書生気質(とうせいしょせいかたぎ)

という随筆の中で、「年輩者が若者に対して、『この頃の若者は』と老婆心を発揮

するのは(記録のある大昔からあって、)ずっと繰り返してきたことであるが、その

老婆心が活かされることはないもの」だと書いていたのを思い出した次第でした。

思うに、寺田寅彦のいう「老婆心」を素直に取り込みそれに従う者はたぐい希

なのでしょうね。

しかしその老婆心を活かして、それに従った一握りの人たちはその後大成。

その中から素晴らしい指導者が育っていくのではないか、と、思ったりいたしま

す。

よしなしごとを又しても、書いてしまいました。

(追記)

因みに、「天災は忘れた頃にやってくる」は科学者寺田寅彦の言葉です。